2019年 新年明けましておめでとうございます。

2019年は、平成が終わる年になりそうです。

振り返ると、2018年はいろいろとありました。個人的なところで、秋田の大学を辞め、少しのんびりしようかと思っていたところ、ひょんなところから東京の専門学校で留学生に経営学を教える機会を得ることができました。その間、変わるはずもなかった元号の変更が変わることになりました。2018年に感じていた日本社会の変化は、この段階にまで至る状態になっていたようです。結果として、2019年の日本社会はリセットの状態を作ることができるようになってきたようです。かく言う私も秋田で蓄えた知見に、東京の情報力とを相重ねることによって、2018年中にいろいろと準備ができ、次なるステージが開けていきそうなことになりつつあることを感じています。

さて、そうなると、さらに平成という時代を私の経験について改めて振り返ってみたいと思います。平成という時代は、私の人生にとって、とても衝撃的な出来事から始まっていきました。人との付き合いの中で、自分の傲りに後悔し、生きるということを心の奥底から考えるところからの始まりです。私にとってはその心の動きを受け止めながら、とてもいろいろなことを謙虚に学ぶ時代であったと感じます。
そして平成という時代は、私の身分が、大学学生・社会人・社長・大学院学生・大学教員 と、高校までの教育期間には感じることが難しかった、経済社会と密接につながっていく時代を過ごしていくことになります。その間に、別れと出会いを繰り返しながら、かつ、個人的にはそこでつながった人との縁をできうる限り大切にしたいと思いながら、その立場に立たないと得られない経験を重ねていきました。その時代には、経済や経済社会というものを学んでいくことになりました。

このことは、日本社会そのものもそのような動きの中にあったことを感じています。「Capitalsm」。この思想はいかにも人々を裕福に、そして平和で幸せをもたらすように感じられていました。まじめな日本人は、昭和という敗戦から、お金という数字目標を高めることで、その「人々が裕福に、そして平和で幸せをもたらす」ことの幻想を抱くことになっていきました。しかし、まじめな日本人の妄想は、やがて、儲かればなんでもいい、という態度や魂の形に及ぶまで変容していきます。その受け入れは、まじめが故に速やかに浸透していくことになります。しかし、そのねじ曲がった「Capitalism」では、自然の脅威に立ち向かうことは困難でした。なにせ人間は、自然に生かされているのです。相田みつを氏の言葉ではありませんが、我々は「にんげんだもの」。この平成の時代の後半は、まさにこのねじ曲がった「Capitalism」の幻想により描いていた「ひとが生きる」ことにおいて、自然に対する畏敬の念を抱かせ、魂のレベルにおいてもきっかけを与えてくれた時代のように思います。近年起こりつつある「Circulism」は、このねじ曲がった「Capitalism」の弊害を克服すべく沸き起こっている哲学思想なのだと思います。そして、この平成の時代の次に来る、新たな哲学思想のように昇華されていく思想のように思っています。

しかし、平成の時代に蔓延した、この「ねじ曲がった「Capitalism」」は日本人の魂の根本にまで拡がっています。そのためそれを払拭していくためには、根本から変えていかなければいけない領域にまで拡大させていかなければなりません。そしてそのために、この「ねじ曲がった「Capitalism」」からの脱却を実現していくためには、教育の現場から変えていかなければいけないことも感じているところです。それは、教育の現場に、この「ねじ曲がった「Capitalism」」がはびこっていると思うからです。それは例えば、「なぜ、ねじ曲がった「Capitalism」が、経済戦争や情報戦争という形で多くの犠牲者が出ていることを教えないのか。」「なぜ、教育にお金がかかる状態をよし、と承諾しているのか。」「そして、がんばっている人を客観的に評価せず、有力者とのコネや利己的思考からの強烈な行動者が評価されるのか。」など、ここに掲げる項目だけでも、そもそも論からは外れているにも関わらず、教育という現場において「ねじ曲がった「Capitalism」」を正当化することによって、正当化させてきました。ここを変えていかなければなりません。

そして、平成が終わる2019年は、本格的に教育の世界に入っていくことになりそうです。(ちなみに、私の年末の終わりの夢と、年始の初夢では、結構きれいな教室で教えている私の姿がありました。)平成という時代を経て、私の心の奥底から湧き上がってくる思いは、楽しく生きる、ことであります。大学卒業時に、生きるために生きる、ということを感じていたその思いから、どうせ生きるなら、楽しく生きる、さらには幸福に生きることを求めるようになっていきました。その思いは、自分のみならず、周りの人間やできれば、もっと多くの人にそのように幸せを感じることができるようになってほしいと思うようになりました。

その思いを胸に立ち上げてきたのが、社会デザイン協会です。この社会デザイン協会は、地域づくりが主な仕事になりますが、この仕事には、政治・経済・情報・教育の4つの要素を複雑に絡み合わせながら、人の心が豊かに、そして幸せを感じられるようになっていけるような形を作っていく仕事だと思っています。

これからは、その中でも教育を中心とした経験を強めていくステージに移っていくことになるのかな、と思っています。今の教育の形は何かがおかしい。それは、未来のステージを作る、その土台となる重要な要素のはずなのに、そんなことは蔑ろにされ、過去に引きずられる状態の中にある違和感、なのだと感じています。それを正し、人の心が豊かに、幸せを感じる社会デザインの礎になっていくものにしていきたいと感じています。そのスタートとなる年がこの2019年になるのだと思っていますし、そういう年にしていきたいと思っています。

時間という概念が人類史上最大の発見だとしたら、この平成から次なる時代への変化は、人類史上最大の発見(時間という概念)を凌駕しながらも、さらなる高みに移る変化が生まれてくるのかもしれないとも思っています。
2019年は、そんな次なる時代へと移り変わるスタートの年になるかもしれない、ということを意識しながら、そのためには今までの縁に感謝しながらも過去に引きずられずに、行動し経験を重ねていきたいと思います。
今年は、そんなことを思いながら、さらなる馬力を加えて活動していきたいと思います。

一般社団法人社会デザイン協会 専務理事 鈴木秀顕

 

 

 

社会デザイン協会は、
地域づくりや地域振興を通した未来の社会デザインを創造する協会です。

社会デザインとは,社会的課題からの要請を背景として,地域特有の資源を適材適所に再配置し,社会のグランドデザインを描き直すことで住民幸福度を高め、持続可能な地域社会の形に導いていくこと